『劇映画 孤独のグルメ』のロケ地を巡る世界文化遺産ツアー

観光バス・タクシークルージング歴史・文化教会巡り自然・アウトドアグルメ&スイーツガイド付き

2025年1月10日より公開の『劇映画 孤独のグルメ』のロケ地と、
世界文化遺産『奈留島の江上集落』&『久賀島の集落』を巡る

五島椿まつり限定ツアー!

基本情報
出発日2025年2月22日(土)、23日(日)、24日(月・祝)、3月1日(土)、2日(日)
5日間限定!
旅行代金大人(中学生以上):15,000円 小人(小学生以下):13,000円
【旅行代金に含まれるもの】ガイド料、各交通費、昼食代、教会寄付金、保険料
※小学生未満のお子様で各交通において座席を必要とされる場合は小人料金をいただきます。座席を必要とされない場合は旅行代金は無料といたします。
申込方法申込フォームよりご予約できます。
申込期限出発日の3日前17:00まで
募集人員最少催行人員:2名様 最大11名様
集合場所
集合時間
福江港ターミナル1F(五島市観光協会売店前)
9:20集合(出発時刻9:45の25分前)17:30解散
行程表福江港(9:20集合・9:45出発)~~~奈留教会堂===ユーミンの歌碑===江上天主堂===宮の浜海水浴場===昼食===相ノ浦港浮桟橋~~~五輪港・・・旧五輪教会堂・・・五輪駐車場===大野の大椿===牢屋の窄殉教記念教会堂===浜脇教会堂===田ノ浦港~~~福江港(17:30解散)

【記号について】
船:~~~ 貸切車:=== 徒歩:・・・
:『劇映画 孤独のグルメ』ロケ地
注意事項※船と陸間の乗降や徒歩区間があるため、足腰に自信のない方の参加はご遠慮ください。(車椅子不可)
※行程に約500mの山道散策区間があります。(動きやすい服装・靴でご参加ください。)
※船の移動は定期船もしくは海上タクシー、車の移動はタクシーです。
※海上時化によりツアーを中止する事もありますので予めご了承のうえ、お申し込みください。
キャンセル料出発日の10日前以降の取消・・・・旅行代金の20%
出発日の7日前以降の取消・・・・・旅行代金の30%
出発日の1日前以降の取消・・・・・旅行代金の40%
出発日当日の旅行開始前の取消・・・旅行代金の50%
出発日当日の旅行開始後の取消・・・旅行代金の100%

予約する(カレンダーへ移動します)

(ベルトラ販売ページへ移動します。)
(九州商船販売ページへ移動します。)
『劇映画 孤独のグルメ』ロケ地マップ ©2025「劇映画 孤独のグルメ」製作委員会

見学地のご案内

江上天主堂

白壁とブルーの窓の愛らしさ

 信徒たちが、キビナゴの地引網の収入など、建築資金をすべて出し合い完成させました。
 建設中は、例年になくキビナゴが大漁で、信徒たちは「神のお恵み」と感謝しあったといいます。
 柱の手描きの木目模様、花を描いた窓の透明ガラスなどの工夫が特徴です。
 日本の木造教会の中でも特に完成度が高く、教会建築の名工、鉄川与助の代表作としても重要で、国の重要文化財に指定されています。

世界文化遺産である「奈留島の江上集落」の中に建つ教会です。

ユーミンの歌碑

始まりは一通のハガキから

1974年、松任谷由実さんがDJを務めるラジオ番組に、県立五島高校奈留分校の女子生徒が「校歌を作ってほしい」という手紙を送りました。これに応えて松任谷さんは「瞳を閉じて」という曲を作り、奈留島にプレゼントしました。この曲は奈留島の自然を詩に託し、島の人々の心を歌っています。正式な校歌にはならなかったものの、卒業式や島を離れる際に送り出す曲として愛されています。

宮の浜海水浴場

透明度抜群で海水浴に最適

五島列島のほぼ真ん中に浮かぶ奈留島は、福江港から船で約30〜45分。そして、奈留港から車で約10分のところにある宮の浜海水浴場は、透明度の高い青い海と波に洗われた小さな玉砂利の浜が続く、奈留島を代表するビーチです。

海水浴シーズンには、シャワーやトイレ、更衣室を備えた施設が開放され、島民や帰省客、観光客の人気スポットになっています。海を見下ろすように東屋が立ち、日陰での休憩や海を眺めながらのバーベキューも楽しめます。

大野の大椿

パワーあふれる大野の大椿

大野の大椿は、根回り2m19cmです。藪の中で、幹も枝も光を求めて曲がりくねりながら大きくなりました。島の人たちは、大椿の前の山を切り拓き、小石を一個一個積みあげながら棚田をつくり農業を営んできました。島の人々にとって、椿は生活の糧であり、時には心を癒してくれる存在です。久賀島村の時代に「みだりに椿の木を切っては罰金刑に処す」という条例をつくり、現在も大切に守っています。高齢化で棚田は自然に戻りつつありますが、昔の人々のパワーと、大椿のパワーに触れにいらっしゃいませんか。

旧五輪教会堂

信徒の熱意が解体の危機を救う

 教会のなかった五輪地区の人々は、取り壊される予定だった旧浜脇教会を譲り受け、解体していかだで運んだこの地に再建しました。
 約50年後、傷みが激しくなったため、新しい教会を隣接した場所に建てて、旧五輪教会は保存することになり、この時点で市が譲り受け教会の役目を終えています。

 各地に教会が建立されはじめた当時の教会建築を物語る、五島列島最古の木造教会で、国の重要文化財です。

牢屋の窄殉教記念教会堂

「五島崩れ」の歴史を刻む場所

 明治元(1868)年、この地で久賀島内の信徒たちが捕らえられ、12畳ほどの狭い牢に200名余りが押し込められました。
 これは畳1枚あたり17人という狭さで、横になる事も出来ず、排泄もその場にしなければならないという惨状でした。
 8ヶ月にわたる入牢で、42人の信徒が殉教しました。この教会は、命をかけて信仰を守り抜いた人々をたたえるために建てられました。

浜脇教会堂

久賀島で最初の本格的木造教会は役目を終えて

 久賀島で過酷な「牢屋の窄の迫害」を乗り越えた人々やその子孫たちが、明治14(1881)年に建立したのが最初の浜脇教会でした。
 その後、台風に備え、五島発の鉄筋コンクリート造りの教会に建て替えられました。
 ゴシック様式の奥まった祭壇と、白い壁を基調に淡いピンクで縁取りされたリブ・ヴォールト天井のやわらかな曲線が特徴です。