令和7年10月~ 「五島列島キリシタン物語」奈留島編

観光バス・タクシークルージング徒歩歴史・文化教会巡りガイド付き

「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」

福江港発着!ガイド付き日帰りツアー!
世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」構成資産
『奈留島の江上集落』を巡ります!

基本情報
出発日2025年10月~2026年3月
10月・11月:火曜のみ
12月以降:火・水・木・金・土・日
除外日10/14(火)、11/4(火)、11/25(火)
12/7(日)、11(木)、21(日)、28(日)~1/4(日)
1/13(火)、18(日)、25(日)
2/8(日)、15(日)、24(火)
3/8(日)、15(日)、22(日)
江上天主堂
内観不可日
各月第3日曜日、その他教会行事の場合は内観できませんのでご了承ください。
第3日曜日:10/19(日)、11/16(日)、12/21(日)、1/18(日)、2/15(日)、3/15(日)
旅行代金大人(中学生以上):12,000円  小人(小学生以下):10,000円
【旅行代金に含まれるもの】ガイド料、各交通費、教会寄付金、保険料
※小学生未満のお子様で各交通において座席を必要とされる場合は小人料金をいただきます。座席を必要とされない場合は旅行代金は無料といたします。
申込方法申込フォームよりご予約できます。
申込期限出発日3日前の17:00まで
※ただし、催行が決定しており定員に空きがある場合に限り、当日の12:00まで受付可能です。
募集人員最少催行人員:2名様
集合場所集合時間福江港ターミナル1F(五島市観光協会売店前)
12:40集合(出発時刻13:00の20分前)/ 17:30解散
行程表福江港(12:40集合・13:00発)~~奈留島世界遺産ガイダンスセンター==奈留教会堂==江上天主堂==ユーミンの歌碑==奈留港~~福江港(16:40解散

【表記について】~~定期船 ==貸切車
注意事項※船の移動は定期船、車の移動はタクシーです。
※海上時化によりツアーを中止する事もありますので予めご了承のうえ、お申し込みください。
※江上天主堂(奈留島)第三日曜日はミサのため敷地外からの見学となりますのでご了承ください。
キャンセル料出発日の10日前以降の取消・・・・旅行代金の20%
出発日の7日前以降の取消・・・・・旅行代金の30%
出発日の1日前以降の取消・・・・・旅行代金の40%
出発日当日の旅行開始前の取消・・・旅行代金の50%
出発日当日の旅行開始後の取消・・・旅行代金の100%

旅のポイントBEST3!

世界文化遺産 奈留島の江上集落(江上天主堂とその周辺)

 江上天主堂とその周辺を含む奈留島の江上集落は、潜伏キリシタンが島の狭い谷間に移住し、その地勢に適応しながら自らのかたちで信仰を続け、解禁後に教会堂を建てた集落である。
 奈留島内の既存の集落から離れた江上地区に移住した潜伏キリシタンは、海に近い小規模な谷間の斜面に居を構え、僅かな平地を稲作地として開墾するとともに、漁業などで生活を営み、自らの信仰を組織的に続けた。
 解禁後、江上集落はカトリックへと復帰し、1918年になって、キビナゴ漁によって蓄えた資金を元手として、湧水に恵まれ防風に優れた谷間に開けた僅かな平地を利用して、湿度や風通しに配慮した伝統的な工法・技術を用いた教会堂を建てた。
 江上天主堂は、付近の湧水による湿気を意識して床を高く上げ、軒裏には装飾を兼ねた通風口を設けるなど、集落内の民家とも共通する独特の意匠及び構造が特徴であり、19世紀以降の長崎と天草地方において建築された数々の木造教会の中でも最も整った意匠・構造を持つとされている。
 このように、江上天主堂とその周辺を含む江上集落は、潜伏キリシタンが信仰を続けるために移住していった五島列島において、移住先として選択した地勢の典型例である谷迫地形、およびそれに適応して伝統的な建築技術・工法に基づく風土的特徴とカトリック教会としての西洋的特徴との融合がもたらした木造教会堂の代表例である江上天主堂を含む範囲を資産範囲としている。

江上天主堂

〈大正7(1918)年建立〉

 信徒たちが、キビナゴの地引網の収入など建築資金のすべてを出し合い、完成させました。
 建設中は、例年になくキビナゴが大漁で、信徒たちは「神のお恵み」と感謝しあったといいます。
 柱の手描きの木目模様、花を描いた窓の透明ガラスなど工夫が特徴です。
 日本の木造教会の中でも特に完成度が高く、教会建築の名工、鉄川与助の代表作としても重要で、国の重要文化財に指定されています。

奈留教会堂

〈昭和36(1961)年建立〉

大正15(1926)年、最初に建てられた教会は、集落の名前と同じ「相ノ浦教会」と呼ばれていました。
 その後、台風時に持ちこたえられないため、信徒たちの手で解体。現在の教会が建立されました。

 昭和48(1973)年には、葛島(かずらしま)の島民が集団移転し、全員奈留教会の所属になりました。葛島教会は廃堂となり、もとの無人島に戻りました。