令和7年10月~ 「五島列島キリシタン物語」久賀島編

観光バス・タクシークルージング徒歩歴史・文化教会巡りガイド付き

「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」

福江港発着!ガイド付き日帰りツアー!
世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」構成資産
『久賀(ひさか)島の集落』を巡ります!

基本情報
出発日2025年10月~2026年3月
午前コース:10・11月:月・火 12月以降:月・火・水・木・金・土・日
午後コース:10~3月:月のみ
除外日10/21(火)
旅行代金大人(中学生以上):12,000円  小人(小学生以下):10,000円
【旅行代金に含まれるもの】ガイド料、各交通費、教会寄付金、保険料
※小学生未満のお子様で各交通において座席を必要とされる場合は小人料金をいただきます。座席を必要とされない場合は旅行代金は無料といたします。
申込方法申込フォームよりご予約できます。
申込期限出発日3日前の17:00まで
※ただし、催行が決定しており定員に空きがある場合に限り、当日の12:00まで受付可能です。
募集人員最少催行人員:2名様
集合場所福江港ターミナル1F(五島市観光協会売店前)
行程表
(午前コース)
福江港(8:45集合、9:10出発)~~田ノ浦港==浜脇教会堂(車窓)==牢屋の窄殉教記念教会堂==五輪駐車場・・旧五輪教会堂・・五輪駐車場==田ノ浦港~~福江港(12:50到着、解散)
行程表
(午後コース)
福江港(13:15集合、13:35出発)~~田ノ浦港==浜脇教会堂(車窓)==牢屋の窄殉教記念教会堂==五輪駐車場・・旧五輪教会堂・・五輪駐車場==田ノ浦港~~福江港(17:30到着、解散)

【表記について】~~定期船 ==貸切車 ・・徒歩
注意事項※船と陸間の乗降や徒歩区間があるため、足腰に自信のない方の参加はご遠慮ください。(車椅子不可)
※行程に約500mの上り坂の山道散策区間があります。(動きやすい服装・靴でご参加ください。)
※船の移動は定期船、車の移動はタクシーです。
※海上時化によりツアーを中止する事もありますので予めご了承のうえ、お申し込みください。
キャンセル料出発日の10日前以降の取消・・・・旅行代金の20%
出発日の7日前以降の取消・・・・・旅行代金の30%
出発日の1日前以降の取消・・・・・旅行代金の40%
出発日当日の旅行開始前の取消・・・旅行代金の50%
出発日当日の旅行開始後の取消・・・旅行代金の100%

旅のポイントBEST3!

世界文化遺産 久賀島の集落

 久賀島の集落は、潜伏キリシタンが五島藩の開拓移民政策に従い、未開拓地に移住して自らのかたちで信仰を続けた集落である。
 外海地域から久賀島へ移住した潜伏キリシタンは、在来の仏教集落から離れた場所を開拓して集落を形成する一方、農業や漁業などの作業をともに行うことで仏教集落との住民とも互助関係を築き、密かに自らの信仰を続けた。
 「信徒発見」後、久賀島の潜伏キリシタンは密かに大浦天主堂の宣教師と接触し、信仰を告白するとともに教理の指導を受けた。宣教師との接触により久賀島の潜伏キリシタンは公然と自らの信仰を表明するようになった。しかし、1868年に五島列島一円で弾圧が行われ(五島崩れ)、久賀島では狭い牢屋に多数の潜伏キリシタンが監禁され、42名もの殉教者が出た(牢屋の窄事件)。久賀島はキリスト教解禁の直前に潜伏キリシタンへ弾圧が加えられた最後の場所であり、牢屋の窄事件が起こった場所には、殉教者を弔うための聖堂と記念碑が建てられ、久賀島のカトリック信者にとって今なお禁教期の記憶の場所となっている。
島内の集落には、禁教期から続くキリシタン墓地も残され、また、解禁後は各集落に次々と教会堂が建てられていった。

浜脇教会堂

〈昭和6(1931)年建立〉

 久賀島での過酷な「牢屋の窄の迫害」を乗り越えた人々やその子孫たちが、明治14(1881)年に建立したのが最初の浜脇教会でした。
 その後、台風に備え、五島発の鉄筋コンクリート造りの教会に建て替えられました。
 ゴシック様式の奥まった祭壇と、白い壁を基調に淡いピンクで縁取りされたリブ・ヴォールト天井のやわらかな曲線が特徴です。

牢屋の窄殉教記念教会堂

〈昭和59(1984)年建立〉

 明治元(1868)年、この地で久賀島内の信徒達が捕らえられ、12畳ほどの狭い牢に200人余りが押し込められました。
 これは畳1枚当たり17人という狭さで、横になることも出来ず、排泄もその場にしなければならないという惨状でした。

 8ヶ月にわたる入牢で、42人の信徒たちが殉教しました。この教会は、命をかけて信仰を守り抜いた人々をたたえるために建てられました。

旧五輪教会

旧五輪教会堂

〈明治14(1881)年建立〉

 教会の無かった五輪地区の人々は、取り壊される予定だった旧浜脇教会を譲り受け、解体していかだで運んでこの地に再建しました。
 約50年後、痛みが激しくなったため、新しい教会を隣接した場所に建てて、旧五輪教会堂は保存することになり、この時点で市が譲り受け教会の役目を終えています。

 各地に教会が建立されはじめた当時の教会建築を物語る、五島列島最古の木造教会で、国の重要文化財です。