「五島列島キリシタン物語」縦断クルーズ編

観光バス・タクシークルージング徒歩歴史・文化教会巡りグルメ&スイーツガイド付き

「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」

福江港発~若松港着!ガイド付き五島列島縦断ツアー!
世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」構成資産
『久賀(ひさか)島の集落』と『奈留島の江上集落』に加え、
キリシタン洞窟』や『ハリノメンド』を巡ります!

基本情報
出発日2024年4月~2024年9月の金・土
除外日4/19(金),20(土),26(金),27(土)
5/11(土),17(金),31(金)
6/1(土)
7/5(金)
8/23(金),24(土)
9/27(金),28(土)
旅行代金大人(中学生以上):18,000円  小人(小学生以下):15,000円
【旅行代金に含まれるもの】ガイド料、各交通費、昼食代、教会寄付金、保険料
※小学生未満のお子様で各交通において座席を必要とされる場合は小人料金をいただきます。座席を必要とされない場合は旅行代金は無料といたします。
申込方法申込フォームよりご予約できます。
申込期限出発日10日前の17:00まで
※ただし、催行が決定しており定員に空きがある場合に限り、前日の12:00まで受付可能です。
募集人員最少催行人員:5名様
集合場所集合時間福江港ターミナル1F(五島市観光協会売店前)
8:45集合(出発時刻9:10の25分前)/若松港14:30解散
行程表福江港(8:45集合・9:10出発)~~~田ノ浦港===牢屋の窄殉教記念教会===五輪駐車場・・・旧五輪教会堂~~~奈留港===江上天主堂===昼食===奈留港~~~キリシタン洞窟~~~ハリノメンド~~~若松港(14:30解散)

【表記について】~~~定期船・チャーター船 ===貸切車 ・・・徒歩

【ツアー終了後福江島へ戻られる方】
若松港14:55発~福江港16:40着 フェリーOCEANにて福江港へ帰島できます。
※運賃1,710円は若松港の窓口にてお支払いください。
注意事項※江上天主堂(奈留島)を内観される場合はコロナウイルス感染症防止のためマスクの着用をお願いします。
ご協力できない場合は内観をご遠慮いただきます。

※船と陸間の乗降や徒歩区間があるため、足腰に自信のない方の参加はご遠慮ください。(車椅子不可)
※行程に約500m下り坂の山道散策区間があります。(動きやすい服装・靴でご参加ください。)
※船の移動は定期船もしくは海上タクシー、車の移動はバスもしくはタクシーです。
※海上時化によりツアーを中止する事もありますので予めご了承のうえ、お申し込みください。
キャンセル料出発日の10日前以降の取消・・・・旅行代金の20%
出発日の7日前以降の取消・・・・・旅行代金の30%
出発日の1日前以降の取消・・・・・旅行代金の40%
出発日当日の旅行開始前の取消・・・旅行代金の50%
出発日当日の旅行開始後の取消・・・旅行代金の100%
予約する(カレンダーへ移動します)

旅のポイントBEST3!

旧五輪教会堂

明治初期の貴重な建築物として国の重要文化財に指定されている。

1881年建立の旧浜脇教会が1931年の建替えのとき、五輪地区に移築されました。
この旧教会が老朽化で解体される寸前、島内の仏教徒の助言によって価値が再確認され、五島市に移譲される事になり文化財として保存されました。
この地区は久賀島の中でいまだに直接車で行くことができない陸の孤島。

世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産「久賀島の集落」に建つ教会です。

牢屋の窄殉教記念教会

弾圧時代、20㎡の牢獄に約200人が監禁され42人が亡くなった、殉教の悲劇を伝える信仰の聖地

久賀島には、浜脇教会と4つの巡回教会がありましたが、人口減少で永里・赤仁田・細石流を統合し、「五島崩れ」から100年たった1969年、発電所の施設を利用した記念聖堂を建立しました。
1984年に、牢屋の窄殉教事件のあった地に移転のうえ聖堂を新築しました。
聖堂内部は、中央部12畳分が灰色のじゅうたんで色分けされています。これは約200名の信徒たちが8ヶ月もの間押し込められた牢屋の広さがひと目でわかるようになっており、かれらの苦しみを雄弁に物語っています。
正面にある塔『信仰之礎』には、入牢させられたキリシタンたち190人の霊名と名前が刻まれています。

©長崎県観光連盟

江上天主堂

世界文化遺産「奈留島の江上集落」構成資産。国指定重要文化財

江上天主堂の歴史は、1881(明治14)年、西彼杵郡などより移住した4家族が洗礼を受けたことにはじまりました。

現教会は、1918年、40~50戸あまりの信徒が共同し、キビナゴの地引網で得た資金で建てられました。
日本における教会建築の父・鉄川与助に依頼し、設計施工。クリーム色の外壁や水色の窓枠がアクセントの、今では少ない木造建築の素朴な教会です。コウモリが羽を広げたような天井は賛美歌の声を美しく響かせるためのもので、柱に描かれた文様や光を巧みに操る技法など、文化財としても価値の高い建築様式です。
また、手描きの木目の柱や花の絵の窓ガラスに、信徒の苦労の結晶を見ることができます。

2018年登録となった、世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産です。

キリシタン洞窟

幕末から明治初期にかけて、キリシタン弾圧は長崎各地で起きており、1868(明治元)年、久賀島の牢屋の迫を皮切りに「五島崩れ」と呼ばれるキリシタン弾圧が起こり、ここ若松地区周辺でも弾圧の嵐が吹き荒れました。
そのような中、里ノ浦地区のキリシタン、山下与之助、山下久八、下本仙之助らは、迫害を逃れるために、船でしか行くことのできないこの洞窟に身を隠していました。 しかしある朝のこと、朝食を炊く煙を、沖を通る漁船に見つかり、役人に通報されて捕らえられました。
その後、1967(昭和42)年、苦しみに耐え、信仰を守り抜いてきた先人たちをしのび、その悲しみを永く祈念するために、洞窟の入口に高さ4mの十字架と3.6mのキリスト像が建てられました。
洞窟は、若松港から瀬渡船で10分ほどのところにあり、奥行き50m、高さ5m、幅5m。よく見ると十字の形をしたドーム型洞窟で、海岸からは入口が見えないこの場所は格好の隠れ場であったといえます。
毎年11月、土井ノ浦教会の信者を中心に100名ほどが上陸し、ミサを行い、祈りを捧げています。